巻尾山 慶徳寺

慶徳寺の起源

喜多方市慶徳町の西の山際にある曹洞宗の寺院。
「新編会津風土記」巻66によると、応安元年 (1368) 源翁 (げんのう) 和尚がこの地に来て庵 (おごそかな建物) を結んだのですが、蘆名詮盛 (のりもり) が源翁に帰依 (仏教を信じて身を任せること) し、一宇を建立して源翁を住まわせ、「紫雲山慶徳寺」と称したのです。源翁はさらに永地元年 (1375) 熱塩村 (熱塩加納村) に示現寺を開基 (お寺を新しく作ること) しました。応永3年 (1396) 春、源翁が再び慶徳寺に宿した時、那須野殺生石の墓が現れ、白狐に姿を変えて尾を巻き、やがて十一面観音の姿に変えて山に飛び去りました。そこで山号を「巻尾山」と改め、殺生石の霊を稲荷神と崇めて稲荷神社を造営したといいます。ここでは曹洞宗と稲荷信仰が習合しています。

慶徳寺と慶徳稲荷神社は、ともに曹洞宗峨山派の源翁によって開かれたと伝えていますが、源翁は康応元年 (1389) 本山の総持寺から異端 (正当でない学説や宗教) として擯出 (繰り返しなんども現れる) されています。源翁が永和元年 (1375) 示現寺の開山となるとき、会津の領主 蘆名詮盛と太郎丸村 (喜多方市豊川町) の地頭領主 太郎丸盛次が協力しました。
源翁の布教は会津の領主たちの支持のもとに行われたのです。

本尊 [image]本尊 板戸絵 [image]推定 江戸時代の板戸絵
天井絵1 [image]日本画家による天井絵 天井絵2 [image]