巻尾山 慶徳寺

源翁 (げんのう) 和尚 と 白狐

源翁和尚と白狐の戦い [image]

中国で国を滅ぼした九尾の妖怪の白狐が、美女に化け日本に飛来して朝廷を苦しめていました。

陰陽師に正体を見破られた白狐は、東国の那須野が原へと逃げ去り、そこでも悪事を働き領民を苦しめていたので、朝廷の追討命によって退治されました。

しかし、その屍は「殺生石」へと変わり、凄ましい怨念は毒気を放って近づく領民や獣、鳥などを苦しめていたのです。

源翁は越後萩村に生まれましたが、誕生の時 空から不思議な音がし、偉い人になると噂されていました。 幼い時から天才ぶりを発揮し、十六歳で出家し、十八歳で悟りを開いき、そして師の没後は全国行脚の旅に出ていました。

正平二十二年 (1367) に会津慶徳村に入った源翁の力を見抜いた 黒川 (今の若松城) の城主 葦名詮盛 (のりもり) は、さっそく和尚を訪ね、慶徳寺を建立し、和尚をそこに住まわせたのでした。

その後も源翁は全国を行脚していましたが、災禍が止まないことを憂いた朝廷によって、那須湯本へ遣わされたのです。

源翁が殺生石に向かって一心に読経し続けると、石肌の露は次第に大粒となり、やがて蒸発すると石から一筋の白煙が立ち昇って美女の姿の白狐の霊が現れました。

白狐の霊は「説法によって怨念から覚めました。仏心をもってこの地の守り神として尽くします。」と約束しました。源翁は持っていたあかぎの杖で石を叩くと、殺生石は三つに砕け散り、ようやく妖狐の霊は成仏したのです。

和尚が再び慶徳寺に戻り落ち着くと、その前に 砕かれた石のうちの一つの霊が白狐と変じて現れ、尾を巻いてうずくまりました。そして「今から護法の神となり、ご恩に報います。」といって、十一面観音の相を現じ、山に向かって飛んで行ったのです。その残った尾が山となったので、 山号を「巻尾山」と改め、白狐の霊と稲荷神をまつったのだということです。